理念の刷新で社員の意識変革に成功した三つの事例
2024.01.30社員全員の協力を生み出し、製造業としての“新たな道”を開拓していくには、理念の刷新が欠かせません。本記事では、理念の再策定と新事業の創出に取り組んだ三名の経営者が登場。理念の刷新が社員一人一人にどのような変化をもたらしたか、さらには、これからの時代の組織に必要とされる理念との向き合い方を紹介します(リバネス主催「ナレッジセミナー:個のネットワーク組織時代に見直す理念」の内容から構成)
(1)社内外に示そうと作った言葉が自分を変えた
/DG TAKANO
株式会社DG TAKANOの高野雅彰氏は、圧倒的な洗浄力で最大95%の節水を実現する節水ノズルバブル90を開発してものづくり大賞を受賞し、一躍有名になる中、理念の必要性にたどり着いた。ヒット商品を生みだす過程で生まれた違和感DG TAKANO は高野氏が立ち上げた「合同会社デザイナーズギルド」を前身とする企業だ。
「世の中の課題の解決や人々の叶えたい夢を実現させることこそ、本来の幸せな仕事のあり方なのではないか。夢の実現に必要なのは、課題の本質を捉え、アプローチを設計するデザインの力だ」と考え、多くの人と夢を実現しあう企業を目指してつくった。最初に取り組んだのは、水不足の課題に切り込んだノズル、バブル90の開発だ。この製品は、飲食店をはじめとする人たちに支持を受け、圧倒的な成功を納めた。
事業が順調に滑り出し、会社名を株式会社DG TAKANOに変更した頃、高野氏は、自分の会社が「バブル90」の会社と思われていることに違和感を感じ始めたのだ。考えを何度も吐き出し、1つの言葉が生まれた違和感を見つめたとき、「現状から成長させていくには、人々の夢を叶えられる世の中をデザインしていくという自分の原点の発信が必要だ」と感じた。「デザイナーズギルドの世界観を社内外に示し、一緒に自分が描きたい未来を創っていきたい」という想いが強くなったとき、初めて理念が必要になったのだ。まず、自分の頭にあることをとにかく吐き出した。吐き出しては、考え直す、この繰り返しによって、自分が納得のいく1つのキーワードにたどり着いた。それが「共奏」だ。
「共存」ではなく「共奏」。お互いを高め合い、知恵を持ち寄ることで、それぞれの夢を叶えながら、地球と共栄できる世の中を作る。こうした決意の中、「知識と革新で人と地球の共奏を実現する」という理念が生まれた。社員が変わるのではなく、社長自らが変わる「会社を立ち上げたときは理念なんて綺麗ごとで、必要ないと考えていました」という高野氏。理念を作ったことの一番の価値は何だったのか。「自分が表現したい未来を社内外の人たちに発信するために作った理念でしたが、結果的に一番変わったのは自分でした」と語る。理念を創る過程で、自らの頭が整理され、未来に向かうための物事の判断基準や取るべき行動が明確になった。社長の行動が変わったことで、共感して集まってくる採用希望者も変わっていった。高野氏の下には今、多くの優秀な社員が集い、自らの、そして人々の夢を実現する仕事に一緒に取り組んでいる。
(2)受け継いだ志に自身を重ねた言葉で社員が変わる
/アオキシンテック
栃木県真岡市に本社をもつ株式会社青木製作所は2020年3月に株式会社アオキシンテックと社名を変更し、理念を改訂した。先代から引き継いだ地盤をもとに、未来に向かって大きな決断をした同社で、新しい理念はどのように生まれ、組織を変化させているのだろうか。
30名を超えて感じた理念刷新の必要性株式会社アオキシンテック代表取締役CEO の青木圭太氏は、父が祖父と立ち上げた同社に20年前に入社した。入社した当時の社員は5名。それから製造業をとりまく環境は大きく変わっていった。受注したものを正確に早く安く製造する役割は海外に取って代わられ、製造工程の専門性が強くなり、中小企業同士の分業化が進んだ。そのような状況の中、青木氏も社員数が30名を超える頃から社内の分業化が進み、社員同士の繋がりの弱さや歪みを感じていた。
「当時の理念は『ものづくり技術で想像をカタチに』。今考えると製造現場の人のための理念でした。社員が増え、ものづくりに直接携わらない人が増えていく中で、組織として新しい理念が必要だと感じました」。「共生」をかたちにして社内外に見せる理念を見直す中、青木氏が大事にしたのは父の創業当初の想いだった。自動車の機械・点検修理を中心として事業を開始した背景には、「モノを使って捨てるのではなく、大切に使ってほしい」という願いが込められていた。そこに自身の「様々な人とものをつくる楽しさを感じたい」という想いを合わせ、「共生型ものづくり産業に挑む」という理念が生まれた。
全ての事業と手を繋ぎ、使った先のメンテナンスも視野に入れた新しいものづくり企業を作るという決意を言葉に込めたのだ。そして、青木氏は次々に「共生」を実現し始めた。地元宇都宮大学発ベンチャーのアイ・イート株式会社と自動追従ロボットの開発に取り組み、AIベンチャーの株式会社Eco-Pork とは畜産機器・設備の開発プロジェクトを立ち上げるなど、分野は食品、農業、医療などに広がり、研究者、ベンチャーとの連携を生み出した。
言葉が使われ、組織が理念に近づく新しい理念と青木氏の行動はすぐに社員の行動も変えた。会社では部署間の風通しがよくなり、助け合う機会が増えた。以前は作業ができない人がいても誰も手を差し出さなかったが、今は「共生型ものづくりだからな」と教え合っている風景が見られるようになったのだ。社員全員が共生を意識し、合言葉のように使うようになった社内を見て、青木氏はさらに、「共生」を目指すものづくりを推進するリーダーを育てたいと考えている。「これからは、業界や立場を問わず、多様な人と共生して、私たちの強みであるものづくり力を活かして世界を変えていきたい」。先代の想いと青木氏の想いを融合した「共生」を旗印としたアオキシンテックの航海は始まったばかりだ。
(3)再定義が次の100年を指し示す
/KOBASHI HOLDINGS
KOBASHI HOLDINGS 株式会社のグループ会社である小橋工業株式会社は、1910年に岡山県で創業した農業機械メーカーだ。2000種類を超える耕うん爪は国内トップシェアを誇る。2016年に四代目として会社を受け継いだ小橋正次郎氏は、未来を見据えて従来の理念を再定義し、次の時代の理念を掲げた。重要なのは長期的に社会に貢献する姿勢将来は実業を担う運命を感じていた小橋氏は、大学卒業後、他の業界を学ぶため、東京のIT 企業に就職した。営業職として短期的な売上成績を求められる毎日を過ごした当時を振り返り、「企業が真に果たすべきことはなにか。中長期的視点で社会にどう貢献していくかという姿勢で経営をしていく大切さを改めて認識した」と話す。
2008年に岡山に戻った小橋氏は、先代から社長を継ぐ2016年までの8年間、ファミリービジネスで最も重要となる株式の持ち方や相続対策などファミリー間での重要事項を調整し、いつでも社長交代できる体制を構築してきた。継承準備で見えた、理念の再定義社長就任の翌年の2017年、小橋工業は株式会社ユーグレナと資本業務提携を行った。同社の水田あぜ塗り技術を応用して、耕作放棄地でバイオ燃料を作るためにミドリムシを培養する取り組みを始めた。当時の理念である「農家の手作業を機械に置き換える」を時代の変化に合わせて再定義する必要性を感じていた小橋氏は、今後、農業分野にとどまらず地球規模の課題を解決する新事業を創造することが自分の使命と考え、農業分野で培ってきた技術を応用する準備を進めてきたのだ。「きっかけをくれたのはユーグレナ社をはじめスタートアップ企業の皆さんでした」と小橋氏は語る。
次世代に引き継ぐ自分がやるべきこと2019年、年初に「地球を耕す」という新しい理念を発表した。「これまで取り組んできた機械化推進による農家の課題解決にとどまらず、これからは地球の課題解決につながる新しい価値を創造する企業になりたい」という想いが込められていた。その後、KOBASHI のものづくりの強みを活かしてスタートアップ企業の製品量産化をサポートするなど、社会的課題を解決する技術の早期社会実装に取り組む。突然の発表だったが、社員も今ではその理念を理解し、自信を持って語るようになった。入社希望者も変わってきたという。「自分の人生を終えるとき、地球を耕した人だったと言われるように生きていきたい」と話す小橋氏を先頭に、KOBASHI HOLDINGDSは次の100年に向けて走りつづけていく。
<アンケートから見えた課題:理念に込められた想いを理解し、自身の言葉で語ることが変革の一歩目となる>
編集部では本特集を構成する元となった3つのセミナーを聴講した参加者に対して理念に関するアンケートを行った。その結果から見えたのは、理念は掲げられているが、実践へと移されていない現状だった。その原因としては、経営者が理念に込めた想いを社員が理解できていないことが挙げられる。この度、議論した経営者たちは、先代や自身の想いそして会社がむかうべき未来を表す言葉を自ら創り出し、理念として掲げた。そして、社員は理念の土台となるその想いを理解したからこそ実践することができた。理念が企業の「生き方」を表すとするならば、社員1人1人が同じ生き方を見据えているのか、今一度見直してはいかがだろうか。
【参加者からの声】
・自分が死ぬとき振り返ってみてどうであったかという個人的視点と、家業で実現する社会的視点とをバラバラにせず一体で取り組む当たり前のようで難しいことを体現していることが素晴らしいと思った。
・全社の理念が有りそれを自職場へどのように落とし込むかと考えたことはあるが、それ以前にそもそも自分の考えの整理が必要と感じた。